インターネットの存在。

この前、まなめさんの「もっと簡単に失敗できるたった一つの方法」の時にも書いたんだけど、今、インターネットが無くなるというのはとっても痛い。生活習慣の一部だから。仕事が終わって、家に帰ってきて夕飯を食べて、10時ぐらいから2,3時間ネットをしている。それで、寝て起きて仕事。そんな一日のサイクル。休みの日は、嫁とどこかに出かけるか、文房具を買いに行くか、植物を愛でるか、家でネットをしているかのどれか。まぁ、勿論たまには違うこともしますがネットに繋いでいる時間が平日より増えているのは確か。

じゃあ、ネットで何をしているかと言われると、答えられない。RSSリーダーが拾ってきたサイトを淡々と読み続け、興味を持ったことの単なる検索。リアルの生活で使いこなせないゴミみたいな知識を惰性で読んでいる。むしろ、知りたいことを探していると言うより、探したいことを探しているといった方が良いかも。使い古された言葉で言うと、「方法の目的化」と言ったような感じ。大学の時に情報リテラシーについての論文を書いたのに全く役に立っていない。

それでは、☆YAS!☆さんが言っていた

 インターネットが可能になった多くの人との出会い・繋がり、それがインターネットが無くなる事でとぎれてしまう。これが一番大きいでしょう。趣味は代替えが利いても、人との繋がりは代替えが利きません。一度知ってしまって、そして戻れない、そういうものとして一番大きいのはこの人との繋がりでしょう。


人とのつながりのための道具と言えば、こうやって人の意見を読んで自分の意見を発することだってコミュニケーションのひとつだよな、って思う。当たり前か。読んでいる人は数少ないけど、聴いて貰いたいと思って意見を発しているわけだし。10年前ぐらいにホームページ*1を作ったときの動機もそうだった気がする。



んで、無くなったらどうなのかと言えば、実際に2年ぐらいネットから離れた時期があった。就職して一人暮らしを始めた頃だから4,5年前ぐらいかな。その時は、とても忙しかったので、家でのんびりネットなんてやっている暇もなかったし、金もなかった。特にその時は絶対になくてはならない存在ではなかった。服屋なので特に仕事でパソコンを使わなかったし(在庫データとか売上を見たりとかしか)、レポート、報告書は手書きだったし。笑い。



結局自分にとってインターネットの存在って何だろうね。情報を得るためのもの?コミュニケーションを取るためのもの?暇つぶしの道具?よく分からなくなった。全部なのかなぁ。ただ、無くなると困る。

*1:多くの人がそうであったように、とても恥ずかしい内容のない日記メインのサイトです。笑い。その後も、内容の無いくだらない掲示板を立てた。恥ずかしい。笑い。今とあまり変わらないな…。